多くの人が幸せの定義を誤解しています。早く気付いたほうが楽ですよ。

マインド的なマインド

だいたい僕は常に幸せな状態なんですけど、最近ちょっと歯が欠けちゃって、ちょっと痛いっていう不幸がちょこちょこ発生してるんですけど、基本的には不幸じゃないかぎり人って幸せを感じるものだと思うんですよね。超絶な幸せを求めちゃう人ってたぶん自分の中に答えがない人だと思うんですよ。

インスタやフェイスブックで幸せ自慢する人たちは…

Instagram とか Facebook とかで、すげーパーティーして楽しそうにしている人とか、すごい高級な料理食ってる人とかいるじゃないですか?すげー幸せそう、楽しそう、みたいなものが見えると思うんですけど、でもそれって本人が幸せかどうかっていうと、幸せな素振りを見せて自己承認欲求を満たしてるっていう状態であって、最終的に手に入れてるものって自己承認欲求だったりするんですよね。

なぜ自己承認欲求が満たされると幸せを感じるのかっていうと、そもそも前提として承認されていないっていう不幸があって、その不幸が満たされるから幸せを感じるんですよ。

もともと幸せな人って自己承認欲求とかあんまりないんですよ。承認されたいっていう不幸があるから満たされると幸せで、お腹が減ってるからご飯を食べると幸せとか、誰にも愛されてないけど人に愛されると幸せとか、車がないけど車があると幸せとか。足りたいものを持ってる人がそれを満たされると幸せに感じがちなんですよ、人間って。

本当に幸せな人は幸せを他人に見せる必要がない

超絶幸せそうに見える人ってそもそも何らかの不幸があって、それを満たすためにそういうことやってたりするんで、本当に幸せそうな人って、たぶん猫に囲まれて朝ご飯を食べて「納豆うめーな」とか言ってる人なんですよ。

別にそれって毎日普通に「ご飯うめーな」とか「猫かわいいな」とかっていうので、誰か他人に対して何かしてもらうっていう必要性がないんですよ。

他人が好きになってくれるとか、他人が認めてくれるとか他人がどうこうって関係なくて、本人が「納豆ご飯超うめぇ」とか言って食ってるっていう状態のほうが、むしろ超絶幸せだと思うんですよね。

他人が必要な幸せって、他人に自分の幸せが左右されちゃうんですよ。他人がどう見るのかっていう。要は自分をどう見るのか、他人は自分のことを好きなのかとか。人はそっち側の幸せを求めがちなんですけど、本当に幸せな人って他人がどうこう関係なくて、わりと自分だけで幸せになれるっていうのがあるので。

もし超絶幸せかどうかを判断するポイントがあるとすれば、自分一人で幸せになれるかどうかで決まるんじゃないかなと思います。